ふわり、と後ろから背中を押されたような気がした。それは、いたわるような手つきだった。突き落とすわけでなく、だけれども確実に押された。 そして俺は階段から落ちた。



「やさしい人とかいて、優人。」
優人は自分の名前を紙に書いてじまんげにいった。ぼくだって、自分の名前くらいなら漢字でかけるもの。星夜。星の夜に生まれたから星夜。 ってばぁちゃんが言ってた。いい名前ねってよく言ってる。
「ちがうって。えばりたいわけじゃないんだから。」
優人はあわてて言った。かんちがいされたくないみたいだった。ちょっとおこってるかもしれなかった。
「わすれないで。おぼえてて。」
優人があんまりまじめに言ったから、何にも考えないでうん、ってうなづいた。
「いいよ、わすれない。ずっとずーっとおぼえてるよ。」
そうしたら優人が笑った。



思いっきり飛び起きてしまった。勿論真夜中である。真っ暗。声を出さなくてよかった。あいにく、個室ではないのだ。
思い出した。なんかいろいろ。覚えてるとか言ってさっぱり忘れてたし俺。あの頃はまだぼくっていってたのか。ここに、優人が寝ていたんだ。この病院のこの部屋この位置。 ベッドまで同じかはわからないけど。何年前だったか。まだ小学生になったばっかりのことだったと思う。そのときも骨折だった気がする。しかも結構重傷な。そしてギプスが嫌で医者から逃げ出してたような気がする。変わらないなぁ、俺。いまだに医者は嫌いなんだ。気があうよ、昔の自分。
あれは、優人のことは良い思い出に分類出来るものなのか、実のところ決断をすっぽかしてしまったから忘れられてしまったのだ、多分。優人は大切な友達の一人だけど、彼にまつわる出来事はつらい物ばかりで俺は怖かった。否、今だって怖いのだ。そう思うと、夜中に一人で思い出すのが嫌になって俺は掛け布団に潜った。



空がすっごく青い日に優人は言った。
「もうすぐ、ぼくは死んじゃうんだって」
「優人が?うそだよ、そんなの」
ちがうと思った。そんなことあるわけないって思った。
「だって、先生とお母さんがそう言ってたよ」
「でも……!!」
そんなのいやだった。
優人が病気なのは知ってた。 ずっと病院から出られないことも。だけど、死んじゃうなんて知らない。そんなことしらない。
「……、死にたくないなぁ。」
優人がポツリとそう言って、ぼくは思った。きっと優人も同じ気持ちなんだって。



「……山城?大丈夫?」
「……?」
誰かの声で起きた。 驚いたことにめっちゃ泣いてた。それはきっと、夢のせいだ。夢なのに本当に純粋に悲しかった。笑えない。めっちゃかっこ悪いし、だけど。優人が。
「名波、来てたのか。寝てて悪かった」
「否、気にしないでよ。これもマネージャーの務めだわ。務めと言うよりも特権かしら。足の調子はどうなの。」
「ん、順調だと。早めにギプスはずせるらしい。」
名波はサッカー部のマネージャーだ。それよりもお前、俺にだけかまけてていいのかよ。
「今日は部活は休みでーす。それより、どうしたの」
「……夢見が、悪かっただけだよ」
「夢、ねぇ。私は長らく見てないわ。」
名波の話はしてねーよ。
「あら、せっかく私がプライベートを話してあげようとしてるのに。」
肩をすくめてみせる名波。黙ってりゃ可愛いのに。否、可愛く見せる方法を知っているのだ。たちが悪い。
「で、どんな夢なのよ。」
「病院で出来た友達の夢。」
「なんで友達が出てくるのに夢見が悪いのよ。」
「そいつ、死んだんだよ。俺が退院してすぐに。」
「そう、」
「日曜に退院して、次の日から学校行って、土曜に病院行ったらベッドなくなってて。」
だから俺は、

優人がどうやって死んでいったのかを知らない。



晴れた日、屋上。優人が連れてきたんだ。当たり前だけど、さくがしてあって、優人はそれをざんねんそうにしていた。
「これじゃ空とべないじゃん。」
ぼくはびっくりした。
「人間は空なんかとべないよ!!」
「えー、とべるよ。だってピーターパンがとべるじゃん。」
「ぼくらはピーターパンじゃないし。大人になるからとべないよ。」
「大人になるのを止めたらいいじゃん。」
そんなことできるのかな。ぼくにはわからないけど。きっと優人なら知ってるんだって思った。優人は病院から出られないかわりにたくさんの本を読んでて、いろんなことを知ってた。ピーターパンも、ぼくは優人に教わった
だけど、優人はきっと知らない。人間は、高いところから落ちたら死んでしまうことを。そんなことはぼくたちが読む本には書いてなかったから。優人は本に書いてないことはあんまり知らなかった。たとえば、ゲームとか。ぼくは本当におどろいた。なんで知らないんだろ。
「さく、なかったらいいのに。」
そう言って優人はさくをもってガタガタさせた。さくのむこうにはさくらの木が見えた。そしたら後ろから頭をたたかれた。ぼくも。何にもしてないのに。
「早く部屋に戻れ。」
かんごふさんだった。女の人なのに、お父さんみたいなしゃべり方だった。ちょっとこわかった。
ぼくと優人は走って部屋にもどった。でも、二人ともちょっと笑ってた。



「知世子さん、」
「、なんだ。用がないなら呼んでくれるなよ。」
視線は手元の文庫本に向けたままだ。
「なんで看護婦辞めたんですか。」 「ふん、簡単なことを聞く。もともと私は看護婦なんか性に合ってないんだよ。最初から、デザイナーになりたかったんだ。看護婦になったのは成り行きだ。」
知世子さんは、俺の方を見もしないで答える。
「なんで俺を引き取ったんですか。」
「お前のばぁさんとの約束だから。」
即答。だけど声の響きは自分に言い聞かせるためのものだった。
「知世子さん、優人のことを少し思い出しましたよ。」
「……そうか。」
「なんか、あのときも、今も迷惑しかかけてないですね、俺。」
「あの頃はかわいげが有ったからな、今はかわいさの欠片もない。」
「だけど、あの時。きっと俺は優人を止められなかった。だからすごく感謝してるんです。」
「……お前が素直に感謝するなんて、明日は雪でもふるかもな。」



言葉は聞こえない。
だけれども。
あれは、なんて言ってる?
「 」
忘れてる。
思い出せ。
なんだっけ。



「名波、」
「何か?」
「俺、何か忘れてるんだ。それが何か、わからないけど。」
「そんなこと私に言ってどうするのよ。」
わからない。ただ、名波は知ってそうな気がした。
「さ・く・ら……?」
つぶやいたら名波がいぶかしげな顔をした。
「いきなり何。」
「桜って言ってた。気がする。多分。」
「自信無さ過ぎ。でも、桜ねぇ。そういえば病院の庭に桜の木があったんじゃなかったかしら。何年か花が綺麗に咲かなかったらしいけど。それから、」
まだ蕾だけど、と名波は付け足した。
そうだ、優人は。



「まってるよ、ずっと。ぼくは       でねむってるから。わすれないで。ずっとおぼえてて。やくそくだから。」



さくらのきのした。
綺麗な桜を咲かせられるように。桜の下には死体が埋まってる。その血で綺麗な色になる。
そんなのは迷信だけど。そうでなくても。優人はあの下で待っていると言った。ずっと。忘れないでと言った。なのに。俺はすっかり忘れてた。
階段で背中を押したのは、もしかしたら優人だったのかもしれない。俺が病院に来るように。そう思ったら少しおかしかった。うまく使いこなせない松葉杖で今から会いにいくよ。
忘れてた。だけどちゃんと思い出した。ごめん、優人。約束やぶって。今から行くから待っててよ、そこで。

ぼくらがさいしょに会った、まんかいのさくらの木の下で。



090226